ブログお引っ越しのお知らせ

演劇ユニット「貴楽屋」座長 岩本貴子ブログにアクセス頂きありがとうございます。

以前からブログの引越を検討してきましたが、
この度Twitterを開始したことなども考慮し、
ライブドアブログへお引越しすることになりました。

ブログタイトルは「泣いたらあかん!ブログ」そのままに
今後はこちらで座長 岩本貴子が書き込みます!

アドレスはこちら↓↓↓

http://takaraya-takako.doorblog.jp/

ブックマークされている方は変更をお願いいたします。
なお、ココログの方はしばらくの間はこのまま公開を続けます。

貴楽屋ツイッターも始めました。
アドレスはこちら↓↓↓
http://twitter.com/#!/peave_takaraya

今後共貴楽屋にご声援のほどよろしくお願いいたします。

貴楽屋スタッフより

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日の出通り

日の出通り
これが、実在する

日の出通り商店街。


稽古場がある、玉造にあったんです!

ホントにびっくり。


去年も通ってたのに全く気付かず(^o^;)

しかも、商店街の中程に、
『趣味の店 タカラヤ』
っていうお店もありました〜(笑)

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お父ちゃん

といえば、中村信行さん 

我らが「のぶさん」です。


のぶさんと、私の歴史も長くなりました

出会いは、かれこれ20年前。


商業舞台、初舞台だった私は、右も左もわからない、なんにも出来ない女の子(だったの!)

私には、磯野洋子さんという師匠がいて、付き人をしながらの初舞台でした。

着物の着方はもちろん、時代劇のことなんて、まるで外国の習慣を教えられているような感覚さえありました。


そんな、不安でいっぱいの毎日を過ごしている中、のぶさんが、「大丈夫?」と声をかけてくれて、時々からかってリラックスさせてくれるようになりました。

すごい頼りになるお兄さんでした。

のぶさんは、北島三郎座長からも、「のぶさん」と親しく呼ばれている若頭的存在でした。


「すごいなあ~。のぶさんて」と、いつの間にか、私も「のぶさん」と呼んでいました。

あるとき、うちの師匠の楽屋にのぶさんが来て、色々語りあううちに、ご飯をご一緒させて頂くことに。

連れていって頂いたのは、もつ鍋やさんでした。

磯野さんは、とてもそのお店を気に入り、何度か通うように。

そんなこんなで、師匠共々、仲良くさせて頂くうちに、のぶさんからも、「貴子ちゃん」と、可愛がって下さるようになりました。

のぶさんは、みんなの人気者で、正直イケメンではないけど(ごめんなさい)女性陣からも、モテモテでした。


お人柄でしょうね~。


のぶさんに、ご出演頂いたのは、貴楽屋を立ち上げる前に、打った芝居があったのですが、「AHO」という作品でした。

ちなみにその時が、私と竹ちゃんとの、初共演でした!


のぶさんは、私の夫役なんだけど、その時も幽霊の役だったなあ・・・。


それで、のぶさんのアドリブの多さに、役者もスタッフも面喰らって、苦笑いしたことを覚えてます(^^;)

自由人だったなあ・・・。今でも少し名残りあり


のぶさんは、柴切さんと歳もほとんど一緒だし、私にとって、大阪の「お兄ちゃん」であり「お父ちゃん」みたいな存在です。


本当に大好きだし、尊敬しているし、なによりすごいのは、人への愛情のかけ方が、半端ない!

どこまで優しいの!?

というくらいです。

のぶさんから、本当にたくさん学ばせて頂いてます。

今回のお父ちゃんも、のぶさんの優しい笑顔で、これ以上ないほどの「愛」を表現してくれました。


のぶ父ちゃんの顔を見ただけで、自然と涙がこぼれてくるのでした


のぶさん。

ありがとうございます。

何度言っても言い足りないです

でも、おちゃめ伝説もピカ一ののぶさん

もう、のぶさんのエピソードは書いたらキリがないので、今日はこの辺で

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お母ちゃん

といえば、未央 一さんこと、「うるさん」です。

この「泣いたらあかん」シリーズ完結編を、東京で上演した時に、初めて貴楽屋に参加して頂きました。

それからも、うるさんと、同じ舞台に立たせて頂く機会を頂きました。


宝塚歌劇団の元男役スターで、現在も、多方面に渡って活躍をされています。

うるさんのすごさは、すごいキャリアの方なのに、いつでも低姿勢で、まっすぐで、全力投球なのです。


そして、温かい。


今回は、体調があまり思わしくなく、ハードな毎日だったと思います。

舞台裏では、静かに充電しながら、舞台に出た時は、100パーセント元気に走り回る!

そして、会場を包み込んでしまう圧倒的な存在感。

そして、おもろい

舞台を降りてこられると、ご自分もへとへとなのに、袖で控えている私を気遣い、扇子であおいで下さったり・・・


(私は私で、楽屋に帰っている余裕がないので、舞台袖で、汗をふきふきまた舞台へ・・・


うるさんのその姿に、この舞台を盛り上げ、そして成功させてやるんだとの、「母」の思いを感じていました。

やはり、うるさんは「お母ちゃん」でした


「お母ちゃん」とのシーンは、私自身の告白のシーンでもありました。

「私はホンマはあかんたれやった」

その通り、私のことです。


だから、あれは反省の涙なのです


お母ちゃん、ほんまにありがとう


たくさんの方に支えられ、舞台を作り上げる。


本当に、一人では何も成立しません。


盆踊りのシーンは、うるさんが、振りをつけてくださいました

観て下さった皆さんが、目に焼き付いていると、おっしゃって下さいました。


今回も、新しい出会いを頂き、新しい発見が多くありました。


その出会いを数多く作って下さったのは、「お父ちゃん」である、中村信行さん。のぶさんです。

次は、のぶさんを語りたいとおもいます!

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つれづれに

今回は、大阪公演2回目ということで、妙な緊張感の中、お稽古に入りました。


そもそも、1回目は、「とにかく挑戦したい。」という、がむしゃらな気持ちが勝っていて、ひたすらに前だけを見つめて進んだ記憶があります。


しかし今回は2回目。


「何のため」

「誰のため」


もちろん自分の中の「大義名分」は、ありました。


しかし、世間はそんな甘いものでもありません。


ですから、常に頭の中は「どこか引きで見ている自分」

がありました。

気持ちが切り替わったきっかけの一つめは、この作品で、ずっと夫役を演じてくれていた、小林一喜さんの出演が決まった時でした。


小林さんは、普段ダンスの講師として活躍されていて、レギュラーでレッスンを担当しているので、当初は、スケジュールの都合がつかないと思って、どなたか役者さんを紹介して頂けないかと、頼んだのでした。

「裕一郎」のキャラクターは、誰よりも小林さんが、わかっていますから、説明も必要ありません。


私の方でも、あちこちにあたりました。

しかし見つからず、キャスティングは難航をしました。


私は、これだけ大阪の役者さんにあたっても、見つからないのは、他の人ではあかんということか?と、

無謀にも、小林さんに「手伝ってくれませんか?」と、お願いをしてみました。

もちろんダメ元のつもりで。


そうしたら、「僕の中の問題がクリア出来れば、出演をお引き受けします。」

との、おっとこまえなお返事!

テンションあがりました!

だって、これまで積み上げてきた「貴子」と「裕一郎」の空気を、そのまま大阪に持っていけるのです。


「問題」はもちろん、お仕事の調整でした。他にもたくさんあったでしょう。

随分無理をして、代行の講師を探して下さり、大阪に向けて準備を整えてくれました。

作家の柴切さん、副座長の竹ちゃん、スタッフにも相談。報告をすると、皆ありがたいことに、「決めるのは座長だよ」と言ってくれ、今回の私の一番のワガママを通させて頂いたのでした。


「小林」 裕一郎は、やはり「男前」で、「シャイ」で、そして「優しい」


感謝です。


こばちゃん。


ありがとう。


このあと、お一人ずつ紹介していきます・・・・


素敵な、大事な、仲間たち。


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